私は27歳でうつになり、結果的に5年勤めた会社を退職しました。だいぶ自分の中で当時のことが消化されたので、少しずつ「うつ」のことを記事にしていこうと思います。
今日は、うつになった経験がない方に向けて、「うつってこんな病気」「うつの人にはこう接したらいいかも」というのを、私なりに考えてお伝えしたいと思います。興味を持って下さる方の参考になれば幸いです。
※あくまで私個人の見解で、症状は人によりけりです。ひとつの例としてお読みください。
うつとは何ぞや?
「うつ」という言葉はずいぶん広まりましたが、具体的な症状は意外と知られていない気がします。「マイナス思考になる病気」「死にたくなる病気」「がんばれって言っちゃだめなやつ…」そんな認識の方も多いと思います。
それ自体は当たり前のことで、私もたまたま自分がうつになりましたが、それ以外の病気について深い知識があるわけではありません。ただ、他の病気と比べてもうつは誤解されやすく、それゆえにうつ病の本人も、周りの人も振り回されることが多いと感じます。
もっと知識が浸透すれば、本人も周りも楽になるのでは…と、そんな気持ちから、私なりにうつについて理解したことをお伝えします。
※これから書く内容は「新型うつ」ではなく「旧型うつ」に関するものです。うつにも種類があるので、これに当てはまらないからうつじゃない、という決めつけはどうかおやめください。
うつには「精神症状」だけでなく「身体症状」がある
前置きが長くなりましたが、うつの症状には、「精神症状」と「身体症状」があります。一般的に、うつでは精神症状がイメージとして浸透していて、身体症状はあまりクローズアップされません。それぞれの症状をもう少し詳しく紹介します。
<精神症状>
- 気分が落ち込む
- 興味や関心、意欲がなくなる
- 無感動になる
- 不安や焦り、イライラ感
- 嬉しい、楽しいと感じなくなる
- 集中できなくなる
- 思考が鈍る
- 決断できなくなる
- 自分が無価値に思える
- 過剰な罪悪感にさいなまれる
<身体症状>
- 頭痛
- めまい
- 動悸
- 耳鳴り
- 不眠もしくは過眠
- 腹痛、下痢、便秘
- 腰痛、肩こり
- 食欲不振、過食
- 味覚障害
- 性欲の減退
※医療現場で用いられる正確な診断基準とは異なりますが、わかりやすい言葉で専門サイトに記載されている情報を抜粋しています。
※うつの診断基準に関しては、こちらの医師会HPに記載があるので、興味がある方はあわせてご覧ください。
「朝から晩まで2週間以上」が1つの目安
重要なのが、すべてではなくとも上記の症状のいくつかが、2週間以上毎日朝から晩まで継続し、仕事や私生活に影響が出ているという要件です。
よく「ただ落ち込んでるだけなのか、うつなのか境目がわからない」と言われることがありますが、そういう時は、上記の症状と「毎日朝から晩まで2週間以上」というのを基準にすると、1つの目安になるかと思います。
「身体症状」を見てどう思う?
さて、症状についてですが、精神症状はおおむねイメージ通りではないかと思います。身体症状はどう思われるでしょうか?
私はうつを専門に学んだわけではありませんが、大学時代は心理学を専攻していました。その際に、うつの症状にも目を通したことがありました。その時の率直な感想としては「へぇ、身体症状もあるんだ。でもそこまで深刻な症状はないんだな」というものでした。
身体的な病の中には「全身から出血」「皮膚に黒い斑点」などの症状が並んでいることがあり、こういう症状は恐ろしいように感じていました。その感覚を読み解くと、自分にとって未知だから怖いと感じるのだと思います。
その点、うつの身体症状の多くは、程度の差はあれ経験したことがある方が多いのではないでしょうか。そのため、うつの身体症状を見ても「そのぐらい自分にだってある」という感想を抱く方も多いのだと思います。
ただ、ここでできれば、頭痛・腹痛・不眠・動悸といった症状が、本当に朝から晩まで2週間以上続き、いつ終わるかしれないという状況を想像してみてほしいのです。
職種にもよりますが、これまで通りに業務をこなすのが難しくなり、飲み会なども参加できなくなります。参加したとしても、トイレを往復することになり、コミュニケーションどころではなかったりします。
友人に食事や遊びに誘われても、「体調悪い?」と心配かけるのも嫌だし、自分も楽しめないので、自然と断りがちになります。
いつ動悸や腹痛がくるかわからないと、電車や車に乗るのも躊躇するようになります。そうなると、通勤や外出のハードルが異様に上がります。
一見、誰にでも経験のある些細な症状に思えても、その症状が毎日朝から晩まで数ヵ月続くと、普通の日常生活を送れなくなります。このことについては、大学生の頃の自分に想像力が足りていなかったことを思い知りました。
精神症状は「症状」だからやっかい
精神症状は、一般的にも広く知られています。一方で、「これが症状だ」ということは、ほとんど認識されていないように感じます。
うつの人に善意から「暗く考えない方がいいよ」「あんまり自分を責めないで」と声をかける方がいます。ただ、これは風邪で熱が出て苦しんでいる人に「熱を出さない方がいいよ」「それ以上熱を上げないで」とやさしく声をかけるのと似ています。
うつの人からすると「そうしたいのは山々だけど、自分の思考と感情を自分では制御できなくて悩んでいる。自分だって暗く考えたくないし自分を責めたくない。でも思考や感情が勝手にそういう風に動いてしまう」という感覚です。
もちろん状態にもよるので、常にここまで客観視できているとは限りません。こういう風に客観的に状態を把握できるのは、比較的落ち着いている時です。ただ、根本にはこの感覚があると思っています。
本当は心の奥底では死にたくないのに、「死にたい」「死ぬべきだ!」という心の声がひっきりなしに自分を責め立ててくるイメージです。こう考えると、精神症状の怖さも少し想像しやすくなるのではないでしょうか。
精神症状は、自分でコントロールできないからこそ「症状」であり、やっかいなのです。
うつの人にはどう接したらいい?
自分の身近な人がうつになったと聞いたら、どきっとする方が多いのではないでしょうか?
「どう接したらいいんだろう…」
「自分の一言で悪化させたら嫌だな」
「何か私にできることないかな?」
「なんだか面倒…」
いろんな感じ方があると思います。
続いて、私の個人的な実感に基づいたものですが、うつの人にどう接したらいいかをお話します。
基本的に「死ぬかもしれない病の人」として接すればOK
うつではよく「“がんばって”と言ったらいけない」と言われますが、言い方や関係性によって当然受け取り方は変わります。NGワードをいくつも覚えるのは、周りの人間にとっても負担です。
ですので私は、シンプルに「死ぬかもしれない病の人」として接すれば問題ないと思っています。こう書くと、「それってかえって難しいのでは?」と思われるかもしれません。
しかし、考えてみると、がんで闘病中で会社に通勤している方、心臓に持病があり体調と相談しながら生活している方など、身体的な病を抱えている方もたくさんいます。家族であっても、同僚であっても、うつだからといって身体的な病と態度をわける必要は特にないと私は思っています。
がんで闘病中の方に「病は気から、がんばれ!」とは言わない
たとえばですが、がんで闘病中の方に「病は気からって言うし、もっとがんばれ!俺も昔、体が怠い日があったけど、根性で乗り切ったよ」とは言いませんよね。これは、がんは明確に病気であり、深刻な病だ、とその方が認識しているからだと思います。
ですが、うつになると、不思議とこういった声かけをされることがあります。「俺も若い頃は悩んだことがあって~」「人生にはそんな時もある」と、こういう声かけには、悪意は含まれていないことが多いです。でも、心の中には、「うつは病気ではない」という強固な認識があり、それが見え隠れすると、言われた側は負担になります。
言われている最中も、口や態度に出さなくとも、何とか笑顔を浮かべていても、頭痛めまい動悸でそれどころじゃない、相槌がやっと、ということもあります。
では、がんで闘病中の方がいたら、どう接するでしょうか?
同僚であれば、「病気なんだね、大変だね」「無理せずね」で十分です。うつだからといって特別な配慮が必要というわけではありません。
「がんばれ」はよくNGワードと言われますが、たとえば「治療大変かもしれないけど、がんばってね」といった文脈なら、問題ないと思います。大事なのは「うつ=病気」という認識を持っているかどうかです。
「何か私にできることないかな?」は実は危険かも
「何か私にできることないかな?」というのは、特にうつになった本人と近しい方がよく抱きがちな気持ちだと思います。恋人、家族、親友、親しい同僚。特別親しくなくとも、面倒見のいい上司先輩だと、このような気持ちを抱くかもしれません。
この気持ちがわくのは、ごく自然なことです。ただ、この「何か私にできることないかな?」の背後にも、「うつは病気ではない」という考えが隠れていることがあります。
「散歩するといいらしいよ」
「引きこもってたら悪化するよ」
「太陽の光浴びたら?」
「考え方をこういう風に変えてみたらいいんじゃない?」
うつになると、身近な人からこういったアドバイスを受けることもあります。悪気がなくても、これは「死ぬかもしれない病の人」にかける言葉ではないと思います。
がんで闘病中の方に「こうするといいらしいよ!」と気軽に声はかけませんよね。「本人はつらい病気と闘ってるから」「自分より本人の方がきっと治療法に詳しいはず」「医学的に根拠のないことを言うのは危険」こういった気持ちが自然に働くと思います。
ですが不思議なもので、うつとなると「自分にもアドバイスできる」と無意識に感じる方が、身体的な病よりはるかに多いと感じます。むしろ「先輩(恋人/家族etc.)なんだから、何かアドバイスしないと」という義務感に駆られることもあるのではないかと思います。
ただ、うつは世界的な診断基準があり、薬も存在するれっきとした「病気」です。そして、対応を誤れば死ぬ可能性もある病です。この点を重々認識することで、「アドバイスしないと」「何かしてあげないと」という精神的な縛りから、身近な人間も解放されるのではないかと思っています。
正直、うつの本人にとっては、病気になっても自分を見放さずに関係性を続けてくれている、それだけで十分です。
逆にいくら病気がつらくても、それ以上を医者でもない家族や恋人、友人に求めるのは、無理があります。仮にうつの本人が絶望感からやけっぱちになり、「家族(恋人/親友etc.)なんだからこうしてよ!」といった無理を言ってきたとしても、それに応える必要はありません。
うつは周りのせい?本人のせい?
身近な人がうつになった時「私、何かしたかな?」「俺の言い方が悪かったかも…」と、どきっとする方もいるのではないでしょうか。ただ、私は基本的に「うつは誰のせいでもない」と思っています。
本人と環境の相性が悪かった結果として、うつの症状が現れてしまうのだと思います。
うつになる理由はよくストレスだと言われますが、何をストレスと感じるかは人それぞれです。
一人で静かに過ごしたい性格の人が、毎日飲み会のある職場で働いていたら、うつになってしまうかもしれません。一方で、毎日飲み会に行くのが楽しいという人もいます。
毎日の飲み会は大好きだけど細かい作業は苦手、という人が、精密さの求められる仕事につき、失敗して毎日叱責されていたら、これはこれでうつになってしまうリスクがあります。一方、精密な作業が得意で、その仕事を心から楽しめる人もいます。
このように、結局は本人の個性と環境の相性次第なので、一概に周りが悪いということはないのです。
うつになるのはメンタルが弱いからだ、という見方もあります。うつになりやすい性格傾向は学術的にも研究されており、真面目で几帳面なタイプ、正義感が強く熱中しやすいタイプ、幼く依存心の強いタイプ、などいくつかの性格類型が提唱されていたりします。
ただ、提唱されている性格類型を見ると、どれかに「当てはまる」と感じる人はかなり多いのではないかと思います。それでも、すべての人がうつになるわけではありません。そのため、性格が1つの要因になるのは確かだとしても、やはり本人の個性と環境の相性次第だと思っています。
身体的な病の場合、「血管が破裂したから」「病原菌が侵入したから」という理由があれば、あまり原因追及がされないことも多いです。ただ、これももとをたどれば、「仕事が多すぎて免疫力が弱っていた」「人間関係で悩みストレスから疲労が蓄積していた」といった要因もどこかで絡んでいるはずです。
うつにしろ、身体的な病にしろ、本人に合っていなければ、それが何らかの症状として発現します。そして、症状が発現した事実を受け止めてどうするかは、結局は本人次第です。
自分の個性を伝え、周囲の理解を仰ぎ、その職場で働き続ける選択をするのか。もっと自分が無理なく個性を発揮できる環境を選ぶのか。考えるのも決めるのも本人であり、本人からの要請がある場合を除き、周りがそこまで考える必要はないと思います。
※この見出しは、主に成人した人が職場でうつになったケースを想定して書いています。幼少期の虐待やいじめ、家庭内のDVなどでうつになる方もいますが、それは本人の努力では避けるのが難しいことも多いです。そのため、すべてのうつに関して「周りに責任はない」と言うつもりはありません。
うつの人を「面倒」と感じるのは悪いことか?
「職場にうつになった人がいて、業務のしわ寄せが自分にきて大変。いい加減にしてほしい」
「同僚にうつになった人がいて、どう接していいかわからない。うつって心の病だし、優しくしないといけないのかな…面倒…」
場合によっては、こういう気持ちを抱くこともあると思います。私は、「面倒」「大変」と感じること自体は、まったく悪いと思っていません。むしろ自然な反応だと思います。うつ以外の身体的な病でも当てはまります。
これはうつになった本人の問題というより、人手不足など会社の体制の問題です。会社組織は、正社員に何かあって業務に支障が出たとしても、すぐに解雇することはできません。そのため、体制を整えて、他の社員への負担を減らす工夫をしておかなければなりません。
ただ、「面倒」「大変」と感じるのは当たり前ですが、苛立ちから「そもそも本当に病気なの?」と疑うのはあまりよくないと思います。基本的には医師が診断しているはずであり、「元気そうに見える」といった個人の感想より、医師の診断が優先されるべきだと思います。
また、「優しくしないと」と身構えるあまり面倒くささが加速しているなら、そこは身構えずに、淡々と業務の話だけすればいいと思います。それでうつの本人が仮にネガティブにとらえて傷つくことがあったとしても、それはあくまでうつの症状であり、本人が医師と相談しながら解決していく問題です。
「面倒」「大変」というのは、自然な感情であり、そう思った自分を責めるようなことでもありません。家族や恋人、別の職場の友人などに愚痴を言って発散するのも1つだと思います。
ただ、うつや身体的な病、交通事故などは、誰の身にも降りかかる可能性があることです。そのため、ある程度は「やむを得ない」という割り切りが必要で、あとは自分にとって無理のない範囲の接し方をすればいいと思います。
本人に聞くことも大切
もしうつになった相手が親しい同僚や友人、家族、恋人で「少しでも力になりたいけど、どう接していいかわからない」という時は、本人や(本人の信頼する)医師に聞くのが近道です。
今回の記事で書いたのも、あくまで私の個人的な感覚にすぎません。「こうしてほしい」というのは、人によって違います。
また、本人の要求が大きすぎる場合(ずっと話を聴いてほしいなど)や、八つ当たりまがいの態度をとってくる場合、無理をしてまでそれに従う必要はないと思っています。難しいと思いますが、あくまで冷静に、拒否する部分は拒否して「これも症状の1つ」と割り切ることが大切です。
本人もどこかで、自分の要求が大きすぎること、八つ当たりをしていることは認識していたりします。同時に、「これが自分の本性だと思われるんじゃないか」という恐怖を抱えています。
ですので「これも症状の1つ」というとらえ方をしてもらえると、その時は何か言ってくるかもしれませんが、症状が落ち着いた頃になって感謝してくれるのではないかと思います。
また、共倒れは何より危険なので、自分が限界だと感じたら、早めに距離を置くことも大切です。支える側も、限界がくる前に早めに医師に相談した方が安心です。
「病気で苦しいんだな」とただ見守ってくれるだけで救いになる
うつを体験した私の、自分なりのうつ病への理解と、うつの人への接し方をお話させていただきました。
精神的な病は、身体的な病と違って、どこか身構えてしまう面もあると思います。ただ、基本的には、身体的な病と同じようにとらえ、同じように接してもらえたらと思います。「病気になったのは自分のせいでは?」「何か力になってあげないと」といった罪悪感、義務感に駆られる必要はありません。
病気である以上、本人が医師の指示のもと(時には医師が職場に働きかけて調整もしながら)治していくものです。そして、それを見守ってくれる身近な存在がいれば、本人にとってはそれだけで救われることだと思います。
うつになった頃、「ちょっとそれは違う…」というアドバイス(?)をされることも時にはありましたが、それ以上にこちらが申し訳なくなるぐらい気を遣ってくれる方が多かったです。当時の私は「気を遣わせて申し訳ないな…」と罪悪感に駆られてましたが(これも症状)、症状が落ち着いた今は、当時を振り返ると深い感謝の気持がわきます。
「ごめん、うつのこと調べたけど、どう接したら楽になるかわからない」と心配そうに言ってくれた先輩。「よくなったらまた一緒に仕事しよう!て言いたいけど、プレッシャーになったりしない?大丈夫?」と明るく言ってくれた先輩。「ここは奢るから元気になったらいつか何かの形で返して、て言うのと、小舟さんの希望通り折半にするのと、どっちが負担にならないか迷ってる」と会計時に困った顔をしてくれた先輩。
「言い方悪いけど、うつを学ぶいい機会だと思ってるから、よかったら症状のこととか無理のない範囲で教えて」と言ってくれたルームメイト。「死にたいかなぁ」と言った私に「そっか。このあとカラオケ行く?それとも家でまったりする?」とやわらかく返してくれた親友。
うつになって数年間は、症状がぶり返すことも多々ありました。そんな時、周りからもらった言葉はどれもお守りのようでした。
うつの人への接し方に悩む人もいるかもしれません。ただ、悩んでくれていることは、うつの人にも想像以上に伝わっています。そして、悩んでくれたという事実があれば、言葉をかけたり何かしたりしなくても、それが支えになることもあると思います。
かなり長くなりましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました。何か少しでもうつを理解する上で参考になる内容があれば幸いです。